2018年1月14日日曜日

ファミリー・ヒストリー(3) ~ 途切れた愛をつなぎなおす






出兵先の中国からわが子への手紙


美しき母国での懐かしい味と父子の愛情は、遠く離るる程恋しさが増して来ます。
〇〇も達者でお母ちゃんの乳房を吸っているんだろうね。
濱田でわが子として初見した父の心は、〇〇には知る事が出来ないであろうが
愛に焦がれて泣く鳥よりも泣かぬ蛍が身を焦がしの例えで、
親と子の別れこそ断腸の想いであった。
遙か異国で国家にご奉仕する父のことを思い、お母ちゃんの膝の上でお乳を飲んで早く歩め歩めする様になっておくれ。
お母ちゃんの教えを守って人一倍な子供になってくれ。異国の地より〇〇へ。
お母ちゃんにも山々よろしく伝えておくれ。さよなら
〇〇へ     父よろし



父は、この手紙を見たことがあったのかな?

明日がわからない身で
命を託すようなこの手紙。


この手紙には、
ありったけの愛情が込められていて
胸が痛くなる。

妊娠さなかに、
妻子の元から離れてしまったのは
決して本人の意志ではないけれど

それでも、
父親のありったけの愛情は
息子の鼻先で受け取り保留にされたまま
時間が止まっていた。


自分が一度も呼んだことのない
「お父さん」という呼び名を
妻の父親に言えなかった。

一人娘の私から
「おとうさん」と呼ばれるたび、
父はどんなふうに感じていたんだろう。




親子の心の行き違いって
こんなことの連続かもしれない。

こうやって
少しずつ少しずつ
家系のエネルギーがゆがんでいく。


私にできることは

家族の物語を明らかにして
拾い上げられなかった想いを
私のなかで理解して
つなぎ直して

途切れていたエネルギーを
通し直すこと。


そして、
こうやって文字化して
日の目にさらして
私の手元から宇宙へ返していくこと。



そして、もう一つ。

母が言っていた。

「これはお父さんへ宛てた手紙だけど
 おばあさんへの手紙でもあるね」


祖母は、うら若き娘だった頃に
生業の手伝いとして
親戚の家に養女に入り、

まるで女中のような扱いを受けていた。


そんなだったから
婿養子である祖父は
妻に直接手紙を書くことなど
はばかられただろう。


この手紙を読むだろう妻への想いを
わが子への言葉にしのばせて
きっと書いたのだろう、って
母と話した。


女中のようだった祖母は

自分の産んだ子どもなのに
満足に世話もさせてもらえず
戦死した夫に代わり
家業のために必死に働いていた。

子どもが
小学校で発表をする、運動会で走る
そんな時も
ゆっくり見に行くことは許されず、

気を利かせた知り合いが
出番を教えに来てくれて
走って見に行って戻ってきていたそうだ。


祖母の中では
祖父はずっと24歳の
美しい記憶のままだった。


私たちが結婚した時
オットは24歳だったから
あの若さで、と思うと
祖父はどれだけ無念だっただろうと思う。


93歳まで生きた祖母は
母と私と孫に看取られて
静かに息を引き取った。


機械も点滴も何もつながれず
みんなで祖母の好きだった
うたを歌って、体をさすって。


父も、祖母も
悔いなく看取りをして
それでも、
時折こうやって出てきたストーリーを
よりなおして紡いでいくことは
私の仕事。




そして、
祖父の想いに直接触れることができて
本当によかったと思う。


死後80年たって
トランクが見つかり
祖父の手紙が日の目にさらされたのは
縛りがほどけるタイミングだったんだろう。


父と私との間のエネルギーの滞り。

でもその前には
祖父と父の滞りがあった。


祖父までさかのぼって
そこからつなぎ直せたことで
自分の中ですっきりと開通したものがあった。


もういいんだ、って
思えた。





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