2018年1月12日金曜日

ファミリー・ヒストリー(1) ~ 途切れた愛をつなぎなおす


今回の帰省には
大きな目的があった。


祖父-父-私、と連なる
父性のカルマをほどくこと。


日中戦争にて戦死 24歳


夏に実家の断捨離をした。

屋根裏の骨董の山の中から
ふるぼけたトランクが出てきた。

鍵がされていて
その時は開けることができなかった。


秋口だったか
母から電話があった。

トランクを開けてみたら、
戦死した祖父からの手紙が出てきた、と。

その話を聞いて
私の中でねじれた糸が
ただされた。



+ + + + +


雲照律師

直系ではないが
祖父は雲照律師にかなり近い筋から生まれた。

だからか
父は、雲照さんにすごく似ているな~と思う(笑)

一族はもともと出雲平野の農家なのだが、
初代にあたる夫婦が大社町で家を興し
商売を始めた。

子どもに恵まれなかった夫婦は、
親戚の農家から養女をもらった。

それが祖母。


「養女」と言えば聞こえはいいけど
商売をしていた養父母のもとでは
女中同然の扱いだった。


あまりのつらさに
泣いて飛び出して、気の遠くなるような
距離を歩いて実家へ帰ったことも。


けれども実家についたら
すでに連絡が来ていて
とんぼ返りで引き戻された、と。


一度結婚するが
相手の男性に
店を継ぐ才覚がないということで
すぐに離縁させられた。

そんな時代だった。


二度目の結婚の相手は
親戚筋の男性。

それが祖父。冒頭の兵隊さんだ。

祖母より4つ年下で
若かったが
男前で気立てがよく、
商才もあったそうだ。


やがて、祖母は身ごもった。


けれども、
しあわせは長くは続かない。

祖父に、召集令状が届いたのだ。



妻のおなかに子を残したまま
祖父は召集されていった。

どこがバンザイか。


その年の12月、父は生まれた。

待望の男の子。


1カ月後、
県内の駐留地にいた祖父の元へ
養父母と連れだって赤ちゃんを見せに行った。


祖母もついていったが
主導権は
養父母が握っていた。


養父母が赤ちゃんを
父親へ対面させる場面に
母親である祖母が同席することは許されず

祖母は、話し声も聞こえないような
遠くから
その様子を見ているだけだった。

もちろん、それ以上近づいて
夫と話すこともできないまま
短い面会を終えた。


その後中国へ渡り、
銃弾を頭に浴びて戦死した。

24歳だった。



だから、
父は「父」を知らない。


戦没者は英雄扱いされ
その子も「戦死者の子」として
特別扱いを受けた。


だから、父は
わりとみんなから可愛がられ
ちやほやされて育った。


そんな父の苦悩を知ったのは、
祖父からのはがきを見つけた時に
母が話してくれたエピソードだった。


母と結婚する時、
父は言ったのだそうだ。


自分は父親がおらず

一度も【おとうさん】と呼びかけたことがない。

だから、お前の親父さんに

【おとうさん】と言うことがどうしてもできない。

悪く思わないでくれ。



私はその話を聞いた時、
自分の中の見えないカルマに光が当たって
スルスルとほどけていくような
感覚を得た。


私の知らなかった父の痛み

はじめて触れた気がした。




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