2016年12月7日水曜日

私の中に隠れていた「怖れ」






先日、外出先で
ネガティブな気持ちにとらわれてしまいました。

久しぶりにちょっと辛くて、
家に帰る前にワンクッション時間をつぶしました。

家に着き、
そこにいつもの家族が当たり前にいてくれて
本当に救われました。

いつもはだいたいさっと片付くのですが
今回は、感情的に揺さぶられたようで
けっこう尾を引いていました。

その感情をひも解いてみると
なーんだ、そういうことか

どうやら
私の中で片付けておかなければならないものだったようです。


* * * *


今、私は仕事のウェイトを
成人対象から、子ども(とその親)に
切り替えようとしています。

ベビー・コミュニケーション講座などを通して
自分の子育てをふまえながら
お話する機会が増えました。

この講座の信ずる根拠は?と聞かれたら
「私の家庭です」と答えます。


私が実践して維持している家族関係があるから、
一本筋を通してお伝えすることができる。

そう思っていました。

けれども、先日のネガティブな体験を通して
気づきました。

私の中には「怖れ」があったんだな、と。


「怖れ」

それは
過去の私の子育てについて。


私は、今こうなる前は
感情の起伏が激しくて
子どもにそれをぶつけるようにして接していました。

いつか、子どもに報復されるのではないか


そんな怖れをずっとずっと心の奥の方で
感じていました。


私が、真美先生に出会い
感情の整理を実践するようになって
私は
子どもに感情をぶつけずに接することができるようになりました。

自分の中で
感情に折り合いがついていると
子どもたちがギャーギャーしません。

私が「勉強しなさい」なんて言わなくても
子どもたちは、自分で勉強します。

家の中は穏やかで
リビングはめったにイガイガしません。

食事中のケンカもありません。

たまに感情がぶつかり合っても
子どもたちはそれぞれ処理できて
尾を引く、ということがありません。

特別なことは何も起こりません。

こういった風景は、
もう私にとって「特別なこと」でもなんでもなくなりました。

写真を撮って誰かに見てもらう必要もなく
わざわざ書くほどでもない。
それくらい、「あたりまえの日常」になっています。



けれども
私の中にはずっとあったのです。

「怖れ」が。


今はいい、けれども
それはもしかしたら私の独りよがりに過ぎず

かつての厳しかった子育てが
子どもに陰を落としたままになっているのではないか

いつか「お母さんのやってきたことは間違っている」
と責められるのではないか。

いつか、ストライキされるのではないか

反旗を翻されるのではないか

見捨てられるのではないか


私は、ずっとそれを恐れていたのです。


先日外出先で体験したネガティブな感情は
かたちを変えてそれを見せられたのだとわかり
深く納得しました。

私も、かつてそうやって母に反旗を翻したのです。

「お母さんのやってきたことは間違っている」

私は被害者意識から 正義をかざして言ったつもりだったけれど、
娘から突然 そんなふうに言われた母は
いったい、どんなに落胆しただろうかと
今になってようやくわかりました。


本音にたどり着いたので
私は、ネガティブな気持ちから解放されました。


その日、
中3の長男が帰宅するなり 学校での話を始めました。
私は、涙が出るほど大笑いして聞いていました。
(ネタがネタなので、ここでは書けませんが)

そして、しばらく二人の時間だったので

私の思っていること、いろいろ伝えました。
彼も、いろいろ話してくれました。

そして、その対話から
彼がまっとうな?感覚の人間に育っている手応えを感じて
安堵し、感謝しました。

私の中に、揺るぎない感覚が戻ってきました。



今日一日平和に過ごしたのは間違いではない

明日問題が起きるとしても、
今日一日はたしかにあった、と積み重ねていくしかない

たとえ 問題が起こっても、何度でも乗り越えていける
その揺るぎない感覚を信じる



そんなふうに、答えを出しました。



: : : : : : :




澄田 順子 (すみた じゅんこ)
life.team307@gmail.com

0 件のコメント:

コメントを投稿

関連記事

***