2016年5月10日火曜日

海っ娘マリンがやってきた(2)

 

上の子たちから年の離れた末っ子は、
妊娠~出産時期にかけて、私がストレスをかけてしまいました。

その心の下に、いろいろなわだかまりを抱えています。

陣痛促進剤を使ったので、
痛みの記憶も肌に残っているのか
小さい頃は、乾燥肌が上の子より強く出ていました。

乾燥肌が治ってくると、
今度は自分で傷を作るようになりました。
よく転ぶし、傷をつくるし、その傷を掻きこわして長引かせます。

母である私と、
心の芯ではつながっていない、という感覚があるのでしょう。
きょうだいの中で一番卒乳が遅く、
卒乳後も長らく
その代わりになるものに愛着を持っていました。

もの心ついた時には、小学生の兄と姉がいて、
自分のはるか先の風景を難なく見せてくるのですから
追いつけ追い越せで成長していました。

すごく主張するのに、いざとなると受け取れない。

私は子どものセラピーをやっていますが、
自分の子どもとなると、難しい面もあります。

「わかるよ、○○なんでしょ」
みたいに、うまいことはぐらかすんですね。
小1~2なのに、知識が邪魔して感情が出せない。


「犬を飼う」という選択肢を得たときに
真っ先に思い浮かんだのは末っ子でした。

家族の生まれた順は変わりません。

末っ子は、この家族のなかでずっと末っ子。

時に 悔しい思いをしながら、
反面
大目に見てもらえることも多いでしょう。

この家族でいる限り、末っ子がどうしても得られないもの。
それは
誰かの面倒を見ること。

いつもそれが気にかかっていました。
かといって、私が次の赤ちゃんを産むわけにもいかず。
(終わりがない)

犬が来たら
末っ子は、自分より小さくて弱い存在を知ることになります。

いたわること、まもること、おせわすること

自分が与える側に回る。

それらを通して、末っ子の中で発芽し育っていくものがあるはず。

実際に赤ちゃん犬のマリンを見ていて感化されたのか
甘えん坊行動が戻ってきました。

本人は
「甘えん坊が戻っちゃったよ~」と困り顔していますが
「いいんだよ~」と言って、受け入れています。


同じように、長男や娘の中にも。

ペットショップに行った時、長男だけ部活で来れませんでした。

自分のいないところで進んでいく話、
輪から外されたようで、おもしろくない面もあったでしょう。

マリンを引き取りに行くときも、
直前に言い合いになったせいでずっと態度が悪くて、
ショップでも仏頂面でした。

マリンと対面し、バスケットに入れて、店を後にし
車の中で長男に持ってもらったのですが
長男は、道中ずっとバスケットの中の小さな存在を凝視していました。

「ショップでは言わんかったけど、めっちゃカワイ~」


「 与えられるだけの側から与える側へ 」

4月の間、1カ月かけて私の中に芽生えてきた意識の変化が
どどーんと、家族の中に現実として現れた、
それがマリンという存在でした。

もちろんマリンが惜しみなく与えてくれるものも。



私はサロンの名前を考える時
「みすまる」と「マン・マーレ」で迷ったんです。
ただ、「マン・マーレ」はパスタ屋さんみたいだな~と
やめたのですが
それでも、あきらめきれないでいました。どっかに使えないかな、と。

名前がマリンに決まった時、
「あぁ、マン・マーレは、この子のことだったんだな」と
思いました。

昨日もサロンに置いてある石を
「あ、マリンちゃ~ん」と間違えて触ってしまいました。
石と犬、間違えるなんてなんですが
雰囲気が似ていたんですね。自分でも笑ってしまいました。

その石は、
私が自分の分身(というか核)のように大切に思っている石なのですが。

マリンが来ると時を同じくして、
生まれた頃からの途切れた記憶をつなぎなおす作業を始めました。

セルフでやるのはけっこうしんどいですが
(すっごい疲れるし、眠くなる)
それでも、つながるたびに
ちょっとずつ何かが解放され、何かが満たされていく感覚があります。


私は、マリンを通して
生まれなおしをしていくのかもしれません。







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