2016年4月16日土曜日

途切れた記憶をつなげていく(2) ~ セルフ誘導瞑想セラピー



前記事の続きです。

私は、セルフの誘導瞑想(ヒプノ)セラピーで
誕生から年齢を上げながら
それぞれの段階での体験を見直していきました。

12歳までやったところで、エネルギーが切れました。

やっぱ、一人でやるのは大変(笑)

12歳の私を、
「また来るからね」と、胸に置いて意識を戻しました。

セラピーを終えて、自宅に戻った後も
プカンプカンと、記憶がよみがえってきます。

夕食のしたくをしながら
先ほどの2歳の時のことが気になりました。

私は、自分の中に
「罪悪感=自分を責める気持ち」があることを
自覚はしているのですが

相当ブロックがあるようで
いったい、何が原因でそれを抱え込んだのか
どこにその根っこがあるか
探れど探れどたどり着かなかったんですね。


2歳。

思い当たることがあるとすれば
母が弟にあたる子を死産してしまったことと
大祖父が亡くなったのが、たしか2歳だったと。

私は、一人っ子として育ったのですが
じつは 私の後に生まれてこれなかった子がいました。


私は
下の子がうまれる(親をとられる)という感情体験
きょうだいを死別という形で喪失するという体験
をしていたんです。

これまで浴びるように感じていた親からの賞賛が、
下の子にスライドしていく瞬間

お中の赤ちゃんへの嫉妬
生まれてこなきゃいい、と思ったかもしれない。

赤ちゃんの死と
家族の落胆(私では代わりになれないの)と
赤ちゃんを呪った自分のせいだ、という思い込み

私は一人っ子ではなかったんですね。

そういった感情を経験し、
弟の死とともに私の記憶からも葬り去られ、
以後、日の目を浴びることはありませんでした。

そのことに気づいたのは
1年くらい前でしょうか。
新惑星を発見した様な、ものすごい衝撃でした。



そして、大祖父が他界したのも、同じ年でした。
90近くまで生きた人でした。

大祖父が神棚で拝んでいると
いつも私がハイハイして足元に寄ってきていたので
「おぉおぉ、あぶない、あぶない(*´ω`*)」と
可愛がってもらっていたと聞いていました。

けれど、祖父の最期の様子は聞いた記憶がありませんでした。

考えたこともありませんでした。

母に電話しました。

大祖父が他界したのは2月。
もう高齢だった祖父は、食事中に誤嚥したらしく、
パタッと倒れ込んでそのまま亡くなったということでした。

だからか。
介護したとか、入院したとかいう話を聞いたことがなかったのは。

そして、葬式の時だったか
私をおんぶしていた祖母が転んでしまい
足首を骨折したのだそうです。

おぶってて転んだ話は聞いたことありましたが、
まさか、この時だったとは・・・・。

大祖父の後片付けと祖母の足首骨折がかさなり、
その心労か
母は、翌月、おなかにいた赤ちゃんを死産したと。


はじめて聞く話でした。
喪失のトリプルパンチでした。

当時1歳7~8カ月だった私は
もちろん、
何があったかなんていちいち説明されてないでしょうから
大人たちの表情、声色、うろたえぶり、家の中の空気感
そんなものを肌で感じ取っていたんでしょう。

家の中に漂う重苦しい空気を
「自分のせいだ」と、引き受けてしまった。

「そういうことだったのか」

その一言でした。

「おばあちゃんの骨折の足首、どっち」
「右だったと思う」
「・・・やっぱり」


ああ、ここに今生における「罪悪感の根っこ」があったんだな
やっと見つけた・・・・。


今にして思えば、2月は苦手なんです。

どよ~んとして、気持ちが鬱っぽくなって
風邪やインフルエンザが流行る時期でもありますし

4月からのものごとのスタートに向けて
準備するこの時期

「必要とされてない」という想いが強くなるんですね。

この根っこからきているのかも知れないな、と
思いました。


この感情は、丁寧に丁寧に癒していこうと思います。


先の帰省、
帰った理由は、大祖父夫婦の供養のためでした。
神道なので、「供養」とは言わないんだけど。


祖霊社・桜が満開だった


大祖父が40年祭
大祖母が50年祭


なぜか、子どもたちが
私の子どもの頃のアルバムを引っぱり出して
見ていました。
私は見ませんでしたが。

思い返せば、布石はいっぱいあったなと。

夏休みに帰ったら、
もう一度ゆっくりアルバムをめくって
このセッションの仕上げをしたいと思います。






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